07・坊ちゃん列車


明治21年  開業当時の伊予鉄・坊ちゃん列車。 ダイヤモンド・スタック煙突


明治25年  ドイツ出荷前の別子3号機 運転台は、ゲーオルク・クラウスらしい。 ソロバン型煙突

現在、別子銅山記念館に静態保存されている車両は運転席の後に、3つの楕円形の窓と、荷物棚が付いています。
日本に輸入された後、住友が改造したのでしょう。

 坊ちゃん列車は、多分、三津浜港、では別子はどこに上陸させたのでしょうか ?
坊ちゃん列車は、一般の人を運ぶ為に購入した物。宣伝もかねて、神戸から船で到着したのを、
当時はクレーンなど無いからすべて人手で陸揚げしたのだが、なにしろ7トンもあるから
一筋縄ではいかず、三津の港には物見高い見物人が集まって、一部始終、固唾を呑んで見守っていたそうです。

 対して、別子鉱山鉄道は会社内で鉱石・その他物品を運ぶ道具です。
広く民衆に、「今日、蒸気機関車が、海岸に到着するよ」なんて宣伝する必要もなかったのでしょう。
記録がありません。
 明治41年に、新居浜町になった時の人口は6,900人足らずでした。
鉱山鉄道が走り出し、、銅鉱石の産出も増え、新居浜が発展していくことになります。

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昭和28年、列車としての役目を終えて、道後公園に運ばれる時の写真です。


住友の場合は、明治21年山根精錬所、惣開精錬所が出来ており、
かなり大きく重たい機械が設置されているはずですから、
松山にはクレーンが無くても、住友の岸壁にはクレーンに近い、運搬手段は、持っていたと思います。
 上部鉄道・石ヶ山丈停車場(835m)までは、トラックはありませんので、分解して、明治13年に出来た牛車道を、
特別仕立ての牛車で運んだのでしょう。